地球のカーブを感じた時〜Birdlandの感想【ネタバレあり】〜
上田くん主演の舞台「Birdland」を観てきました。
当初は9/17(金)13:00公演に1回観に行く予定だったんだけど、チケットをお譲りいただいて9/19(日)13:00公演も観ることができ、計2回観劇できました。*1
1回目観劇後からTwitterにも思ったこと(考察と言えるほどではない)は書いていたんだけど、その後パンフや雑誌を読んだり、2回目を観た上で、改めて書き残しておこうと思います。
作品概要はこちら↓*2
上田くんが演じるのは世界的ロックスター、ポール。彼が率いるバンドのワールドツアー最後の一週間のお話。
感想として、この舞台は「生と死」特に「生」についての話だったんだと思う。
※ところどころでセリフの引用がありますが、正確なものではないのでニュアンスとして捉えて頂ければ幸いです。
数字の話
生きている自分にはどのくらいの価値があるのか。ポールにとってそれを示すものが数字。
舞台ではいろんな数字が出てきた。
自分が着ている服(具体的な値段は言っていなかったけど高価なものだと分かる表現だった)、自分のコンサートの動員数、チケットの価格。
チケットの値段が3年前の3倍ということは、今の自分は昔よりそれだけ価値が上がった。数字は確かなもので、自分は完璧な人間だと数字が証明していると言い、それを信じて疑っていなかった。
だからどんな質問にも「うん、いいね」と投げやりな答えか沈黙を貫いたジャーナリストの取材にもお金についてだけははっきり答えた。
アナリサをけしかけた時、マーニーの両親に挑発ともとれる善意を見せた時、ライブ会場の関係者夫妻に娘を連れてこさせようとした時、自分は数字(=お金)を持っている人間/価値がある人間だと主張した。
でも結局、確かなものと言っていたその数字は他人から与えられるもの。
印象的だったのが、父親から地元の新聞で自分たちが四つ星評価と絶賛された事を聞かされたポールが「四つ星なんてもらったことない。でもそう言うなら、そうなんだろうな」みたいなことを言っていたところ。
星というのは他者からの評価で、自分にはその数字の実感がない。
ジェニーの「数字は確かなもののように思えるけど、相対的で不安定なもの。2は1がないと成立しない」って言葉の通り、基準があるから数字は成立している。
スターになるってことはきっと、自分以上に周りが変わっていって、どんどん自分のことを持ち上げて、いろんな数字を釣り上げていくんだろうな。
そして持ち上げられたポールがまさに数字によって叩き落とされると言うのも皮肉な話。
捕まった理由は行為そのものじゃなくて、14が16より下の数字だから。ポールが聞いていたとおり18だったらこういう結果ではなかった。
しかも持っていると思っていた数字(=お金)すら実は全部会社への負債で、虚像だったっていうのがすごく残酷。
将来を見込んでの貸付ではあるけど現時点では持たざる者で、持っていないものを使っていろんなものを消費した。
まさに資本主義の仕組みだなと思ってたら、後で読んだパンフでサイモンさんが似たようなことを書いててちょっと嬉しかったな。
じゃあ絶対的なもの、本物ってなんなのって思うけど、例えば昔から最前列で自分の歌を聴いてくれたシャロンの笑顔が見れること、遠方からはるばるライブに足を運んでくれるルイスのような存在、こういうものかもしれないなとふと思った。ノイズの中にある光。
繋がりの話
人は1人では生きていけない。誰かと繋がることで生きていける。
二幕からポールが虚言を連発し始めていよいよ狂っていくんだけど、なんだか小さい子供がその場その場で思ったデタラメを言って大人に構ってもらおうとしているように見えた。
他者と自分の関係って、本来は心の信頼によって成り立つものでそれが理想だけど、それがない場合に出てくるのが権力、お金、暴力。
もっと拗らせると訳の分からないことを言って振り回して神経を逆撫でして気持ちを試したり、負の感情でも自分に関心を持たせる事で一瞬でも繋ぎ止めようとするかもしれないなと。
短絡的で子供の発想だけど、抱えきれない孤独の中にいる人は縋る思いでこういう事をするかもしれないと思った。
可哀想というか、哀れな人って気持ちがずっと残ってる。
舞台上にたくさんあった台座が途中から暗幕で覆われて、最後は歪な1枚のみになったのも、繋がりがどんどん絶たれて追い詰められていくことが表れていたのかもしれない。
生きていると感じる瞬間
ホテルのプールサイドで仰向けになりながらジョニーに言った
「空を見るのが好きだ。地球の輪郭も感じられる。惑星も全部見える。遙か遙か遠くまで見渡せる。新しい惑星も見つけられる」
という言葉。
ライブのステージに立つことを
「毛穴という毛穴が開く。驚くほど遠くまで見える。音がはっきりと聞こえて、客の魂の中心が見える」
と表現した言葉。
両方ともポールにとって生きていることを実感する瞬間だったと思う。
ツアーが終わることに対して怯えていたのも「生」を実感する場所がなくなってしまうからかもしれない、と2回目を観て感じた。
自分が思っている以上に多くの人が自分のことを知っていて、手持ちカメラでの撮影で表現されたように四六時中好奇の目に晒されて執着されていることに恐怖を感じながらも、ステージに立つことで生きていると感じられる。
大勢の人の前に立って皆が目を輝かせながら自分を見ている時間を過ごしたら、その後の現実がすごく空虚なものに感じてしまうというのは、きっとステージに立つ人は多かれ少なかれ感じるんだろうな。
最後マーニーは飛び降りた時について
「風の音が聞こえた。地球のカーブを感じた。全てのものがはっきり見えた」
というようなことを言っていた。全部、ポールが空を見上げている時、ステージに立っている時に感じていたこと。
飛び降りた瞬間にマーニーは「生」を感じたんだね。
対してマーニーと話している時のポールは生きているという感覚がなくなってきている。
マーニーのいる「ずっと寒い。常に緊張している。全ての感情が恋しい」場所とは確かに違う場所にいるはずなのに、ポールの抱いている感覚はマーニーと近しい。
マーニーはポールに「俺は死ぬのか?」と聞かれた時に「そうは見えない。分からない」と答え、ポールは「死にたくない」と言っていたからこの時点ではやっぱり違う場所にいたけど、向こう側にいるマーニーと対話をしている時点で生と死の境目がなくなりつつあるようにも感じた。
ポールは最後どうなったのか
マーニーが去った後、ポールは
「俺は何年も何年も生き続ける。
俺が見てるものを君が見えるようになる時、
行ったところに君が行けるようになる時、
死ぬ以外の全てのことを、君ができるようになる時」
と言って、自分が立っている最後に残された台座の上からふっと一歩出し、暗転して舞台は終わり。
ポールはどうなったのか、人によって解釈が分かれると思う。
わたしは直接的な死は選んでいないと思ったんだけど、雑誌「えんぶ」のインタビューを読むと違う風に思うこともあり。
これはわたし個人の解釈だけど(というかこの文全部そうなんだけど)、最後のセリフの「生き続ける」は前向きなものではなく、全編を通して感じた「生」への執着に近いものの延長にある言葉だと思った。*3
もし自発的に落ちたのだとしたら、死ぬためではなく、マーニーが言っていた「地球のカーブ」を感じるその一瞬のためかもしれないな。
時々、それこそスターである「事故死か自殺か分からない死」のようなものがしっくりくるかもしれない。かもしれないだらけだな。
ただ、死って肉体だけのものじゃないよなとも思った。
一般人もいわゆる「社会的な死」って表現が使われるけど、ずっと人前に立ってきて好奇の目に晒されて、普通の人に比べて自分のことを知っている人の数が桁違いに多くて。
そういう人たちにとって、表に立つ事と同じくらいそこから去る(=繋がりを断つ)事も怖いんじゃないかと思った。
会社からあんな額の負債を抱えたら働き続けるしかないし、ポール自身も生きることに固執してるけど、心身ともにとてもじゃないけどステージに立てる状態じゃない。
どうなったかは分からないけど、仮に体は死んでいなくても、ポールが持っていたもの、持っていたと思っていたものが全部失われて、あの暗転でわたしたちの前から消えた今、やっぱりポールの中の何かは「死んだ」んだと思う。
ポールの最後のセリフの中の「君」って、誰のことなんだろうね。
ポールの音楽に魅せられて、彼をスターだと思っているファンたちかもしれないし、自分自身かもしれない。ジョニーやジェニー、マーニーかもしれない。もしかしたら誰でもないかもしれないね。
こうやって無理やり結論づけてまとめようとしても、観た時の気分やその日の天気、劇場の場所、客席から見た景色、いろんな要素で感想や思ったことは変わるだろうな。
1回目の観劇の後、資本主義の国のど真ん中にある渋谷という場所で、人間が欲望のために作った食べ物の具現化のようなマックのハンバーガーを頬張った事、ざらざらした記憶としてどこかで残り続けると思う。
いろんな人の感想聞いてみたい。
しばらくはブログやふせったーを読み漁る旅が続きそう。