仁くんのいないKAT-TUNの歴史がこれからも続いていきますように
正直な気持ちをそのまま表したらなんだか不穏なタイトルになってしまった。年の瀬なのに。
あの、何か文句を言いたいとか、悲観的なことを書きたい記事じゃ全然ないです。
こんなタイトルにしといてなんだけど。
KAT-TUNが今も大好きな、何より赤西仁を担当として駆け抜けたオタクの独り言です。
当たり前だけど仁くんファンの総意でもなんでもなく、わたし個人の独り言です。
2019年が終わろうとしていて、2020年がもうすぐそこまで来ていますね。
2020年。
正直どういう気持ちでこの年を迎えるのか、数年前の自分は想像つかなくて、ことあるごとにそわそわしていたな。
2020年。
この年を境に、KAT-TUN結成から赤西仁が在籍していた時間を、彼が脱退してからの時間が超えます。
9年5ヶ月だったかな。仁くんがKAT-TUNのメンバーとしていた時間。
6人で過ごした時間を、5人・4人・3人のKAT-TUNが築きあげてきた時間が超えます。
デビューしてからの時間で考えていない時点で往生際が悪いと言われそうだけど、やっぱりデビューするまでの5年間は外す事が出来なくて。
わたしにとっても大事な時間だから。
KAT-TUNを好きになったのはいつだったのか、明確なきっかけはなんだったのか、正直あんまり覚えてなくて。
買ってた写真とかを遡って見てみると、恐らく2001年の後半~2002年の前半に好きになったんだと思う、多分。
Jr.時代のタッキー→V6(健くん)→嵐(翔くん)と元々がっつりジャニーズが好きで、同じく親子でジャニオタだった親友から「新しくできたグループらしいよ」って教えてもらったのがKAT-TUNを知ったきっかけだったと思う、多分(多分ばっかだな)
当時思いっきり金八先生の影響で風間くんが気になってて、そんな中ジュニアだけの番組が始まって。
深夜の放送だったから小学生だったわたしは録画して、後日親友とお互いの家で見たな。
それが初代の裸の少年。*1
記憶がめちゃめちゃ曖昧だけど、裸の少年が始まって、親友にKAT-TUNの存在を教えてもらって、よく見ると金八でお寿司屋さんの息子役やってた人やネバーランド*2に出てる人がいて、それ以外も知ってる顔が多かったから気づいたら全員覚えてたな。
最初に気になったのは違う人だったけど、この中で誰を1番にしようかなって改めて考えて選んだのが仁くん。
今までは一目ぼれに近い形で直感で好きになってばかりだったけど、仁くんだけは自分の意志でこの人にしようって決めたの。
頭弱くて*3ヘタレキャラでいじられて、いつもみんなの話題の真ん中にいて、楽しそうに笑ってる仁くんが大好きだった。
前に、KAT-TUNを通ってない友だちに昔の雑誌だか動画だかを見せたら「赤西くんってこんなに楽しそうに笑えるんだね!?」って驚かれて、あぁそうだよなぁ、意外に思う人、たくさんいるだろうなって思ったのを覚えてる。
そうだよ、すごく笑うの、仁くんって。
愛想ないように見えるかもしれないけど、めちゃめちゃうるさいの。
仁くんの笑った顔が大好きだったし、今でも大好き。
家が厳しくてコンサートにも行けず、BS見れなかったからたまに親友の家で少クラ見せてもらって、お小遣いでドル誌買って。
初めての単独コンサートだった神様コンがDVDになった時、行けなかったわたしはとにかく嬉しくて、すぐにCDショップで予約してお年玉で買ったな。
大変コンは映像化されなかったから雑誌の記事を何度も何度も読んだし、かめがステージから落ちたってニュース見た時は気が気じゃなくて、仁くんがかめを支えてる姿を見て涙が出そうになった。
もっといろんな人にKAT-TUNの魅力を知ってもらいたいなって思っていた時に目にしたのがクランキーやプラスXのCM。
CMってテレビ局の人が作ってるものだと思ってたわたしが広告という仕事を知ることになるきっかけだった。
後に本当にその業界を目指すんだから、振り返るとわたしの人生を大きく動かしてきた存在でもあったな、KAT-TUNって。
そんなこんなでお茶の間もいいとこだったけど、めちゃめちゃ楽しかった。
KAT-TUNが大好き、それ以外のごちゃごちゃした気持ちなんて一切なくて、ただただ楽しかった。
それからまぁなんやかんやあって、2005年のごくせん大ブームもあって2006年にデビューして仁くんが留学して2007年に戻ってきて2010年にKAT-TUNを脱退するわけですが(めっちゃ端折る)
自分の環境が変わったこともあって脱退する少し前からKAT-TUNというかジャニーズ全般から離れつつあって、脱退をきっかけに、自分が大好きだったKAT-TUNに対して少しでもマイナスな感情を抱く前にほぼ完全に離れたんですね。KAT-TUNからも、仁くんからも。
彼らのためなんかじゃなく、完全に自分のためです。
わたしはグループを気になってから担当を決めたから基盤はあくまでKAT-TUNだったというのもあるけど、書いたようにマイナスな感情を抱く前に離れたおかげで、いつかはまたKAT-TUNの現場に行きたいと思えていたな。あの判断は我ながら正しかったと思う。
たとえ何人になっても、KAT-TUNにはずっとずっと1番かっこいいグループでいて欲しかった。
離れていた時も、自分の中で完全に切り離すことはできなかった。それぐらい大事な存在だったから。
4人になるって分かってから現場に行きたいという気持ちがより強くなって、ようやく行けたのがquarter。
惑星コン以来のKAT-TUNコン。
自分の中で気持ちの整理がつくまで時間をかけたつもりではあったけど、それでもやっぱり6人じゃないKAT-TUNを生で見るのは正直怖くて。
だからこそ、嬉しかった。
人数が変わっても、それこそわたしが最後に見てから2人も減ったのに、わたしがあの時見ていた、大好きだったKAT-TUNがステージにいて。
変わらずKAT-TUNを好きだと思えたという事実がたまらなく嬉しかった。
それから充電期間に入って、こうしてまた活動をしてくれて。
こんなにいろんなことがあった上で、KAT-TUNがKAT-TUNでい続ける選択をしてくれて、その選択を支えてくれた人がいて。
たまに「1番好きな人がいなくなったグループを今も応援できているのがすごい」って言ってもらうことがあって。
当たり前だけどわたしは偉くもなんともなくて。
もし偉い人がいるのなら、それは間違いなく、自担がいなくなってからもこうして好きでいさせてくれたKAT-TUNです。
わたしの大事な大事な思い出をなかったことにせず、まるごと抱きしめて今を進んでくれて、あの頃の先に今の道を作ってくれて、過去の人でなく今が1番かっこいいKAT-TUNでいてくれて。
大袈裟じゃなく、今こうしてKAT-TUNを応援できること、好きでいられていることが本当に嬉しいんです。
今もあの頃を思い出して切ない気持ち、少し寂しい気持ちになることは正直ある。
これは、わたしがあの頃を好きな限りずっと付き合う感情だと思っていて。
寂しいという気持ちはきっと消えない。
でも悲しいという気持ちは消すことができる。
これはわたしがこれまでいろんなことを経験した中で感じたことです。
KAT-TUNのことで感じた悲しい気持ちは、時間が経つにつれて、そして5人になっても、4人になっても、3人になってもKAT-TUNがこうしてKAT-TUNでい続けてくれたことでもうほとんど消すことができました。
ほんの少し、自分でも気づかないくらいのほんの少しの残りの悲しい気持ちも、2019年に全部置いていきます。
2020年。
6人でいた年月を超える時が来て、寂しいけど嬉しい。
こんな気持ちにさせてくれて本当にありがとう。
これからも、KAT-TUNがKAT-TUNとして楽しく幸せに過ごせますように。
最高にかっこいい姿を見られますように。
再来年の15周年を最高に幸せな気持ちでお祝いできますように。
今年もどうもありがとう。
良いお年をお迎えください。
来年もその先も、きっと大好きです!!!