担当(個人)と担当(グループ)が噛み合わなくなる予感
タイトルのまんまです。
今って副担って言葉生きてます?
担当の次に好きな人(=副担当)って言葉通りの意味なんですけど。
かつてわたしにもそういう人がいましてね。
担当=赤西仁
は不動のものだったんですけど(それ以前にも三宅健くんやら櫻井翔くんやら通ってきましたが、担当って言葉を覚えてから好きだったのはずっと仁くんでした)
副担当=錦戸亮
だったんですよ。
正直担当が絶対的なものだったからいたところでって話なんですけど。
当時は単純に副担って言葉を使いたかったっていうのもある(ミーハー)
”副担にするなら誰かな?”
って考えた時に自然と浮かんだのが亮ちゃんでした。
好きだったんです、亮ちゃん。
声変わりをする前ジャクソン5のABCを歌っていた時から、あんなにかわいいお顔してるのに言ってることと態度がまぁ生意気なクソガキで、物怖じしないでズケズケ言って、でもきっとそれも一種の武装で、心を開いた人には素を出す亮ちゃんがかわいいなって思ってて。
仁くんと仲良いのも嬉しかったなー。
これはわたしの勝手な憶測だけど、仁くんも亮ちゃんも自分のことを呼び捨てや愛称で呼んでいい人を自分の中で線引きしてるというか、好き嫌いがはっきりしてるイメージがあるから、同い年とはいえ先輩な亮ちゃんのことを”亮ちゃん”って呼んでタメ口で話す仁くんと、それを受け入れて”仁”って呼ぶ亮ちゃんは本当に友だちなんだなって思ったし、たまに現場が一緒になると本当に楽しそうで、そんな2人を見るのが好きでした。
仁くんが辞めてからは
”担当は永久欠番”
って名称を自分につけてたんですけど(ネーミングセンス皆無)
この前久しぶりにエイトコン行って、全体見ながらひたすら亮ちゃんを追いかけてて、あーやっぱりこういうの楽しいなって、思ったわけですよ。
みんな好きなのは前提として、その中でも明確に好きな人がいるっていうスタンスが、わたしには1番楽しめるのかなって。
もし、もしまた担当という席に誰かを座らせるのなら、多分亮ちゃんなんだろうなって、最近思うようになったのです。
でも、じゃあわたしがエイターなのかと言われたらそれはまた別問題なんですよね。
”担当グループはどこですか?”
って聞かれたら、わたしは今でも迷わずKAT-TUNって答えるんですよ。不思議だね。
エイト、好きなんだけどね。
テレビに出てたら見るし、コンサートも遊びに行ってるし。
でも、わたしの中でKAT-TUNは特別なんですよ。
エイトと比べてるわけではなくて、というかむしろどことも比べられなくて。
前に誰かが”KAT-TUNという概念を愛してる”みたいなことを言ってたけど、わたしもまさにこれなんです。
もはやKAT-TUNという存在が好きだから、担当が辞めてもまたFC入ってコンサート行くようになったんですよ。
でもこんな感じだから、KAT-TUNの今いるメンバーの中に担当を作れないんです。
みんな同じくらい好きだから決められなくて。
FC入る時も好きなメンバー書く欄があるじゃないですか。
あれ、本当に書けなかったんです。
全員じゃダメなのかなって何度も思った(あれ実際そういう選択肢もあったんだっけ?)
でもグループって枠組みを取っ払った時、ジャニーズの中で個人として1人選ぶとしたら.....
っていうループを延々と繰り返してます。
何担当の話でここまで長々と語ってるんだわたしは。
こんな状態だから、もはやグループも個人も”これがわたしの担当!”って名乗れない気がしてきた...。
と思いつつ
いや別になんでもよくない?
って軽率なオタクな自分も顔を出してる。
しばらく悶々とした日々が続きそうです。